私達、光の魂は破滅が差し迫るほど悪化した時、銀河中に呼び出されました。
しかし一度も降りた経験の無い私達は不調和のドロドロとした重たさがどんなものなのか全く見当がついていませんでした。
私たちはそんな領域に出かけたこともなかったからです。
また私たちには、どうして胸が張り裂けそうなほどつらいのかについても、まったくわかりませんでした。
そして転生を繰り返すたびに闇の深みのより深くへと闇のどん底に至るまでますます深くへと飛びこんでいったため
私たちは私たちの本当の性質を忘れてしまいました。いたましくも道に迷う者たちもいました。
いくらかの魂の光は弱まり、途絶え、それが多くの者たちを絶望に追いやりました。
けれども、そうでない者たちは自分の光を固守しました。
自分の光を固守した光の子供達はこの世で直接的な関与を通して不調和のドロドロとした重たさを自分中に動かさせて
それを愛へと変容させてきました。その直接的な関与を通してあなた方、皆が必要とするものはすべて愛であるという実感が高まりました。
その経験を通して今、あなたが自分という者を思い出すプロセスを経験しています。
又、貴方に本当の自分を思い出させる導き手である光の救世主と光の仲間に出会う時期を迎えています。

地球に来た光の存在たちのために。私たちは、決してあなた方を置き去りにしないと約束しました。
そのために私たちは、あなた方がそれを内側から変えるために自らをドロドロとした重たさの中に浸すべく闇の深みへと飛びこんだため
あなたがご自分の内側で愛のスパークを生きたままにさせ続けるようにアシストをするためにその輝きを保ってきました。
それがそれを変容させるための…人類を目覚めさせるための…唯一の方法だったからです。
あなた方には、「貴方は恐れではなく愛を体現しているのだから闇はもはやあなたに対して何の支配力もない」ということがわかるようになってきています。
恐れがやってきても、ご自分がもはやそれに反応していないことに…恐れが以前のようにあなたにひっかかって
あなたを沈めることなどできないということにあなたは今になっても気づいていませんか? 
恐れを観察していれば…そしてそれがリアルなものではないということがわかれば…恐れはあなたとつながることができるところなどどこにもない
霧のようなものでしかありえません。あなたには愛を選ぶか,恐れを選ぶかの選択権があります。
けれども愛・光があなたの内側で飛躍的に高まっていれば、恐れには取りつく島がどこにもなくなるのです。
こうなるままにさせてください。内側で成長してください。ご自分自身に尋ねてみてください。
「私はまさに今、OKかな?」と…。
そうして、あなたがご自分自身に今という瞬間の贈り物をもたらすのです。そこで愛のビームを見いだしてください。
それで、ご自分が束縛をされていない自由の身であることがご自分でわかれば、貴方の内側から笑いや陽気さが高まってくることでしょう。
あなたが何者にも束縛をさない自由の身で気持ち良く笑顔で生きる生き方を教えてくれるのが自由自在に生きている救世主です。
ブッダやイエスキリストや他の救世主の方々はあなたの本来の心を知って本来の心に戻って気持ち良く笑顔で自由自在に生きていけるようにと教えを説かれました。
救世主の方々の教えは学問や哲学ではありません。
ブッダやイエスキリストや他の救世主の方々は私達の魂の親です。
親と子は愛の関係で学問ではありません。
救世主の方々の教えは救世主の方々の心から発っせられます。
その教えは他の心(神仏の心)を知り自分の心を知る愛と慈悲の教えです。
私達はブッダやイエスキリストや他の救世主のこころをもっと感じ知らなければいけません。
ブッダやイエスキリストや他の救世主の心を深く知り感じる事で自分自身の本来の心を知り永遠の命を取り戻します。
信仰は救世主の心を感じ知る事であなたの心を知って行くことが信仰です。
貴方の信じる神仏を心から愛する心が持てるよう祈って下さい。
神仏を心をつくし魂をつくして愛して下さい。
神仏を心から愛して来ると自分自身を心から愛するようになります。
神仏を心から愛して来ると心の中がいつも光で満たされています。
この世の経験は貴方と共にに生きている神仏と他の生命体の心を知る為にあります。
私達が大きな光から生まれて大きな光に帰る事、大きな光を愛し愛されている事を思い出し心を何時も神仏に向け
色々な経験、体験を通して他の心を知りその経験と体験で大きくなった愛をこれからの子供達に向けて共に生きて下さい。
日木流奈君が言う世界がやってきます。
天のお舟に乗り込んで つま弾く指を携えて
銀河に響くメロディーを 奏でるために旅立った
時代は来世 人々は 琴に玉水はじかせて
七色橋より滴り落ちる 光し羽衣、胸宿す
忘れ去られて那由他 不可思議 幾年過ぎた
物語を始めよう 再び始まる物語
お伽話とみまごうほどの美しき
天地をつなぐ物語 それはあなたの物語



ブッダの涅槃

釈迦、入滅後400年間、釈迦の像は存在しなかった。
彫像のみならず絵画においても釈迦の姿をあえて描かず、法輪菩提樹のような象徴的事物に置き換えられた。
崇拝の対象は専ら仏舎利または仏塔であった。

お経が書かれたのは釈迦、入滅後100年〜400年後である。

私が娑婆に居る時も入滅した後も悟りを求めるあなた方を悟りに導けれるのは悟りを開いた者だけである。
悟りを開いてない者から教えを受けても悟りを開く事はありません。
私の教えは
自己の本性を知りブッダすなわち覚者となる教えです。菩薩を悟らしめんが為の教えなり。
あなたが未来に悟りを開く事又、いま悟りを開いた事を証明出来るのはブッタ(悟りを開いた者)だけです。
本当の自分を知るということは、ブッダの心を知ることです。

私が入滅して後、
汝らは、みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず
法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることのないように。
私が入滅した後でも教えを求める衆生の為に私と会い私から直接、無上の法を聞く事の出来る教えをのこします。

衆見我滅度 広供養舎利 
咸皆懐恋慕 而生渇仰心

衆生既信伏 質直意柔軟 
一心欲見仏 不自惜身命

時我及衆僧 倶出霊鷲山 
我時語衆生 常在此不滅

以方便力故 現有滅不滅 
余国有衆生 恭敬信楽者

我復於彼中 為説無上法 
汝等不聞此 但謂我滅度

衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
(じゅう わがめつどをみて ひろくしゃりをくようし)
咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
(ことどとく みなれんぼをいだいて かつごうのこころをしょうず)
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
(しゅじょう すでに しんぷくし しちじきにしてこころにゅうなんに)
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず
(いっしんにほとけをみたてまつらんとほっして みずからしんみょうをおしまず)
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
(ときにわれおよび しゅうそ ともにりょうじゅせんにいず)
我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず
(われときに しゅじょうにかたる つねにここにあってめつせず)
方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず
(ほうべんりきを もってのゆえに めつふめつありとげんず)
余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば
(よこくにしゅじょうの くぎょうし しんぎょうするものあらば)
我復彼の中に於て 為に無上の法を説く
(われまた かのなかにおいて ためにむじょうのほうをとく)
汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり
(なんたちこれをきかずして ただわれめつどすとおもえり)

衆生よ私が入滅したら仏塔(供養塔)を立て広く仏舎利(仏陀の遺骨)を供養しなさい。
私を供養する皆が私に咸く恋い慕う心(愛する心)を懐き
渇いた者が水を切望するように私に会いたいと願うでしょう。
私の教えを既に正しき信を懐き飾り気がなく正直にこころ柔軟に行っている衆生よ
みずから身命を惜まず苦しい時も悲しい時も辛い時も命を奪われそうな時でも
私を愛し一心に私に会いたい見たいと祈り願いなさい。
私を常に意識しなさい。心を向けなさい。
あなた方が身命を惜まず私に愛する心をいだき私に一心に会いたいと祈り切望した時
私はあなた方一人一人の前に姿を現します。
あなた方が私に愛する心をいだき私に会いたいと祈り切望し私の姿を見た時
私と私と共にいる衆僧があなた方と常に共にある事を知るでしょう。
姿を見せたりあなた方から少し離れ見守っているのはあなた方一人一人を正しく導く故にです。
新しく生まてくる衆生の中に私を愛し慎み敬い教えを聞きたいと願う衆生があれば
私はその衆生の所に何回でも行き心のん中に直接、無上の法を説きます。
汝らの心に説いた教えを汝らが聞いても行わなければ私は汝らにとってその時から存在しない者となるでしょう。
南無釈迦牟尼仏
(なむしゃかむにぶつ)


最も美しいものとは一体どこにあるのでしょうかそれは、一人一人の人間の中にあるのです。
私の秘密をおしえましょうか。
私は祈ります。お釈迦様に祈るということは、お釈迦様を愛することと同じなのです。
救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら
私の答えは「お釈迦様を愛することです。」そして、何よりもまず懺悔し祈ること。
お釈迦様でさえも、お釈迦様を求めない者には、ご自身を押しつけることはできません。
信仰は恵みなのです。人が天から心を授かっているのは、神仏を愛するためです。

ブッダや貴方の信じる神仏を愛して来ると何々をしてもらいたいから何々をして上げたいと言う心になってきます。
お釈迦様に喜んでもらいたい美味しいコーヒーを入れて上げ飲んで頂きたいと言う心と行動になってきます。
神仏に喜んでもらいたい、そのような者に私はなりたいと思う心が貴方に芽生えてきたらもうすでに貴方は救われているのです。
救いを求めるのではなく仏を思うそのこころ、すでに救われているつまり利益はそこにある。
仏を思うその心とは仏を愛するこころです。


至福の光
歓喜は突然、向こうからやって来ます。
家、壁、ドアすべてが空無と化して消え去った。
その時、私は光の海に包まれ大きな光の中にいた。
無辺際の生きた意識であるところの至福の光の大海である。
四方から深いとどろきとともに光の波が押し寄せ私を包み込みおぼれさせ
私は完全に外界の意識を失った。
大きな光と私しか居ない世界になり最高の気持ち良さと魂のやすらぎに包まれ
永遠にこのままでいたいと思った。
水の中に氷を入れると氷りが解け水と一つに成る様に
私は大きな光に解け大きな生きた光と一つに成り私と言う意識が無くなりそうになった時
私は何処から生まれ何処に帰るのかを知った。

神の心から生まれ神の心へ帰る事を知った。

オーム(聖音)
物質の世界、こころの世界、あまねく天界に
すべてに満ち満ちるすべてなる存在に身を任せ受け入れます
すべてなるものの真理とその大いなる光に繋がり
その光がわれわれに降り注がれ
究極の真理、本当の自分に目覚めることができますように。


イエスキリスト
あなたがたが祈る時は魂のひそかかな室に入り戸をすっかり閉じ聖なる瞑想で祈るがよい。数多き言葉を言うに及ばない。
また異邦人のように何度も同じ言葉を繰り返す必要もない。ただこの通りに祈るのだ。


天にいますわれらの父よ聖名(みな)のあがめられるように御国(みくに)のくるように。
御心(みこころ)の天に行われるごとく地にも行われるように。
われらになくてならぬ食べものを今日も与え給え。

すべて、われらの負債(おいめ)をゆるして下さるように、ほかの人々がわれらに負う負債を忘れさせ給え。
われらに堪えがたき大きな誘惑者のわなにかからぬようにわれらを守り給え。

かかるわなが来ればこれに打ち勝つ力を与え給え。

もし、あなたが神と人に負うすべての負債、またあなたがたが勝手におきてを犯した負債から許してもらいたいなら。
あなたがたはすべての人の負債を許してやらねばならぬ。
それはあなたがたが人にしたように神はあなたがたにするであろう。

イエス・キリストの復活はイエス・キリストのみにとどまるものではなく、全ての人に及ぶものです。
善行をした者も悪行をした者も最後の審判の日には全ての人が復活し、善行を行った者は生命の復活に出て
悪行を行った者は裁きを受けるために復活します。

善行を行って今、生命の復活に出てるあなたは魂を永遠に生かす食べ物を食べなければあなたの魂は永遠に生きて行けません。
キリストのもとえは帰れません。
あなたは今世、永遠の命を得る為に魂を永遠に生かす食べ物を食べに復活しています。
魂を永遠に生かす食べ物とは何でしょう。
目に見えるパンや葡萄酒ではなく魂を生かすキリストの心のパン(肉)と葡萄酒(血)です。
キリストの心のパンと葡萄酒とは何でしょう。それはキリストの愛です。
キリストの愛を食べることであなたの心が愛で満たされキリストの愛とあなたの愛が一つになり貴方は永遠の命を取り戻します。
心をつくし魂をつくしてキリストを愛して下さい。

イエス・キリストの復活は父神とキリストと貴方が永遠の者であることを示しています。
イエス・キリストの復活を心から信じてる方々キリストに大好きだよと声をかけられるように成って下さい。
イエス・キリストにお姿を見せてもらって下さい。会って下さい。

あなたの前にイエス・キリスが現れるのは貴方の心しだいです。
心を尽くし魂を尽くしてイエス・キリスを愛して下さい。
その様な私に成りたいと祈ってください。


イエスキリスト
わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
しかし、これは天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。
わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。
それで、ユダヤ人たちは「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と互いに激しく議論し始めた。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。

人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。


歓喜は突然、向こうからやって来ます。
やさしく夢見る瞳が時空と空間を超越して私をじっと見つめていた。
そして私は身動きがとれなくなりまったく言葉が出なくなってしまった。
ただ佇みあなた(キリスト)しか目に入らなかった。
あなたを見たとき息が出来なくなってしまった。
あなたを見たとき深く深く感じてしまった。
あなたを見たとき私はすっかり変わってしまった。
そう、今までの私ではなくなってしまった。
人生にたった一度だけ愛が押し寄せて人を変えてしまう事がある。
そして夜明けの光の束が闇を引き裂き心の奥を覚醒させる。
そんな事はそれが突然起きるまで全て嘘だと思っていた。
始めも終わりも無くあなたは私のためにいるかた。
それは事実あなた(キリスト)の瞳がそう私に語る。そう、あなた(キリスト)の瞳が私に教えてくれた。

I LOVE イエスキリスト


主はすべての人々に分に応じて智慧をあたえ神を愛する者には惜しみなくそれを与えられた。
主を愛する事こそ輝かしい智慧。主は御自分を示すために智慧を分けあたえこうして彼らは
主を見るようになる。

我らの神、主は唯一の主であるあなは心を尽くし魂えを尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。
今日、わたしが命じるこれらの言葉を心に留め子供たちに繰り返し教え。
家に座って居る時も道を歩く時も寝ている時も起きている時もこれを語り聞かせなさい。
父と子と聖霊の聖名においてアーメン

永遠に神を愛し神を感じ気持ち良い生活をおくれない者たちが神を愛し神を感じて生きていける人達に
そのようなってもらいたくないために往々として世界平和、友愛、博愛、聖書にこう書いているお経にあー書いていると言います。
目の前にいる神にきずく事なく聖書から経典からキリスト様、お釈迦様が
出て来ると思っているかのように聖書や経典と睨めっこし論議し神仏の心を知ろうとしていません。気持ち良く生きようとしていません。
ワインを飲んだ事の無い方が本を読んでワインの話している様に。
ワイン飲めば色、香り、甘さ、酸味、味わい、今年のできが分かり楽しさ気持ち良さがあります。
神を愛し神を感じ神と共に生き神のすばらしさを話して下さい。
神と共に生きあなた自身の聖書を作って下さい。あなた自身の経典を作って下さい。
あなたの心の中に神の国を創り神の教会を建てて下さい。道場を建てて下さい。
神えの信仰は神とあなたと一対一の関係です。だれもその関係に入る事はできません。
あなたが忘れている神を心から愛してる本来のあなたにきずいてもらう、きっかけを作るのが神の使いの仕事であり喜びであり神の愛です。
本来のあなたを見失はせる堪え難き大きな誘惑者のわなにかからないようにして下さい。
キリスト様お釈迦様のあなたのすばらしいさを知る教え気持ち良く生きる教えは神の心からあなたの心の中に直接とかれます。
神様を愛する心を持ちたいとお祈りしたその瞬間から全ての出来事が神を心から愛している本来のあなたを知るための出来事になります。
辛い時、悲しい時、思うようにならない時があると思います。それはあなたが神様と共に生きているからです。
神様も辛い時、悲しい時、思うようにならない時があるのです。共に生きているので共鳴・共振し合い同じになるのです。
マザーテレサは目の前で苦しんでいる人々を誰と感じ誰と思い接したのでしょう。なぜ危険な所にも行かれたのでしょう。
苦しんでいる人の心の中にキリストがいるからです。そこにキリストがいるからです。
辛い時、楽しい時も神仏に感謝して下さい。
その様なあなたにもどれるのも神に愛がなければ戻れません。

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、神を愛する心がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ
山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも神を愛する心がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも神を愛する心がなければ、わたしに何の益もない。

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